とある28歳の体験談と趣味嗜好

主にグルメと映画と趣味についてのブログ.

恋人関係では、常に「捨てられるんじゃないか」という危機感を1割ぐらいは頭の片隅に置いている

もう6月も終わりですね。2018年平成最後の年の上半期が今日で終わり。

時の流れが早いもんだと驚いてる、ざっくりです。

 

恋人いますか?デートする相手はいますか?

今運よく誰かと付き合えてる方、それはもう僕仲間ですね。

私も神様の思し召しで、今のところ異性と付き合えております。

 

お陰様で付き合って1年と2ヶ月過ぎた訳ですが、個人的に付き合ってる上で一つ頭の片隅に常に忘れないようにしてることが一つありましてですね。

「いつか捨てられるんじゃないか」と。

もっと詳しく言うと「今は仲いいけど、もしかしたら別の誰かを好きになって自分の元を去っていくかもしれない」という心積もりなんですけど。

 

お陰様で喧嘩も全くなく、ラブラブ(死語)に過ごしてますけど、この思考って結構大事なんじゃないかなぁと個人的には思っています。

この考えの主な効果は『好かれているということにあぐらをかかない』という一点に尽きるんですよね。

 

じゃあその疲れてることにあぐらをかかないって言うのは何なのか?という話なんですけど、平たく言えば他人が自分の為に時間を割いて、楽しく一緒の時間を過ごしてくれているというのを常に新鮮に感じ取る為なんですね。

 

彼氏彼女と言ったって、生まれも育ちも違う他人じゃない

釣った魚に餌をあげないっていう言葉がありますよね?もうどちらかに好かれてしまったら、大して返してくんないとか。一方が好きと言うんだけど相手が同じような熱量で返してくれずに好きと言われる事に対して慣れてしまってるというか反応が薄いというか。

 

付き合ってはいてほしいんだけど、その好かれている自分が好きで言われるのがまあ当たり前みたいな。好きと言われても「はー」みたいな薄いリアクションとかね。そういう場合があると思うんですよ。

 

まあそういう時に何が起きてるかっていうと、慣れちゃってるんですよね。

今後も一方的にいま付き合ってるパートナーからずっと愛されるなと。

根拠はないんだけど、特に努力をしなくてもずっとこれから好きーとか一方的に愛される状況が続くんだなぁと。

 

俺はこれからも好かれるに値する人間だと。

来て欲しい時に来てくれるし、やりたい時にやらしてくれると。

ま、男女限らずですけどそういう驕り高ぶりの時期があるんじゃないでしょうか。

 

それが崩壊の足跡の第1歩なわけなんですよね。

まず、他人じゃないですか。

どうなん何しようがどんなに仲良くあろうが、結局生まれも育ちも環境も違う、他人同士が縁あって一緒の時間過ごしてるわけじゃないですか。

 

そういう時に一方だけが「好き好き」で、「あー好きなんだねへー」というリアクションばかりだと、好き好き言う方は辛いですよ。

本当に好きなのかなと。都合のいい関係として見られてないかなと。

これは男女限らずですけどね。

 

惚れた方が負けとは言いますけど一方だけが好き好き言ってると、辛いもんがある訳ですよね。

そうすると、言う方は「自分だけが好きなんかなー」と思って関係がギクシャクしてくる。

言われる方は、急に好きとか愛してるとかの頻度が減って「え?どうしたのかな」と不安になってくる。

そうなってくると、もう遅い訳ですよね。

 

今まであぐらをかいて好き、愛してるって言われるだけで満足という方が、そんなつもりはなかったと弁解するように、逆に好き、愛してるという方になってパワーバランスが逆転。その結果、なんでこんな人を好きになってたんだろうと大した魅力が感じられなくなって別れに繋がると。

まぁ一方が追い続けるような恋愛をしてた訳でさもありなんという結果なんですけど、こういった恐れがある訳ですね。

 

「もしかしたら捨てられるかもしれない」という緊張感

釣った魚に餌をあげないかもしれないと自負してる人、要注意ですよ。

一方だけが好き好きって言って帰ってこない適当な扱いされるってのは大変ですからね。

時すでに遅しっていうのもありますから。

 

んじゃ、もう頭の片隅に1割でも「捨てられるかもしれない」と思うのはどういうことか。

緊張感を持つということですね。

 

これは自分の話なんですけど、僕は向こうから惚れられまして付き合ってます。

向こうから好きと言われて付き合ってる形ですね。

となると、最初の頃からはもう向こうから「好きだ」と。「愛してる」だと。

 

言われて悪い気はしませんよね?むしろ嬉しいです。

可愛い女の子から好き、大好きって言われて、そりゃ自尊心が高まるもんですよ。けど、ある時ね、『言われて満足してる自分』というのに気がついたんですよ。

 

『自分は惚れられた側だ』と。

『好きと言われて嬉しいな』と。

そういう「言われている自分が好き」という部分がむくむくと湧いてくるんですよね。

 

それじゃあ、アカンと。

そういった時、自分客観的に振り返ってみた訳です。

俺はKinKi Kidsの堂本光一くんみたいにイケメンなのかと。関ジャニの錦戸亮くんみたいに、男前なのかと。松井秀喜選手みたいにヤンキースの4番はれるんかと。

 

無理ですね、足元にも及ばない訳です。

そういうスーパーマンでもないフツメンの自分が今、何の因果か神様のおかげで今の彼女と付き合わせてもらってると。

 

そう考えた時に、「じゃああぐらをかいていてはいけんな」と。そう思ったわけです。

まるで若さを武器にした女性が若さだけを拠り所にして無双していた結果、加齢とともに失われて昔のように通用せずに狼狽しているような。

 

そんな事態は避けようかなと思った訳ですね。

 

自分を振り返るステータスバーとして

「もしかしたら自分はいつか捨てられるかもしれない」という心構えをしていると、自分の中の驕り高ぶり度が自分でわかるわけですね。

 

惚れられてる側が気をつける事としてなんですけどね?

「この人は他人なんだぞ」と。「今は縁あって自分のことを好きと言ってくれているけども、適当に扱ったら簡単に離れちゃうんだぞ」と。

 

そういう自分の中の「釣った魚に餌をあげない」部分を抑制するみたいな働きをする訳ですね(笑)

 

適当に扱ったら離れてしまうかもしれない。丁重に扱ったら、このまま仲良く関係が続けられるかもしれない。この思考を忘れないだけで、例えばデートの時なんかは奇跡の連続ですよね。

 

元々は他人だった女の子が、自分のことを大好きと言ってくれて、なおかつデートの待ち合わせ場所に自分でお金を出して来てくれる。

ありがたいことじゃないですか、本当に。

 

イケメンホストならわかりませんよ?あんな女、こんな女取っかえ引っ変えして、次なんかいくらでもいるわみたいな。

 

でも、生憎ボクはブサメンな訳でして、『変わりはいくらでもいるわwww』と草を生え散らかす余裕も無いわけです。

そんな中、自分のことを大好きと言ってくれる異性がいて、自分のためにお化粧とかをしてくれて、お金を出して待ち合わせとかに来てくれて、お祝いがあったらケーキをプレゼントしてくれるとか、こんなブサメンのために一緒の時間を過ごしてくれるとかありがたいことじゃないですか本当に。

 

ブサメンが図に乗らないため。元は他人だった異性が自分のために時間を割いて一緒に思い出を共有してくれるというありがたみを感じるため。

そういう意味での「手抜きをしたら捨てられるかもしれないなぁ」という考えはなかなか効果があるんじゃないかなと思ってます。

 

お陰様で1年2ヶ月、喧嘩も1度もなく相変わらず愛してくれて、幸せな日々を送れていることを神と彼女に感謝したい気持ちであります。

 

まとめ

よく恋愛工学などなど、女をとっかえひっ返えするといった「女なんか選び放題だぜウェーイ(՞ټ՞☝︎www」ムーブメントに、果たして自分が参加できるのかといった、自分を冷徹に見つめ直してみる機会が必要なわけです。

 

もし今彼女が出来ているとして、慣れによって適当な対応をしていないか、釣った魚に餌をあげていないんじゃないかと時折振り返らないと、いわゆる仮面夫婦まっしぐらになってしまうわけです。

 

お互い興味がなく、新鮮味もなく感謝もなく、ただただ惰性によって付き合ってしまうカップルが誕生してしまうので、その発想を防ぐために『常に新鮮味と感謝を感じられ、そして危機感も得られる』というマインドセットが全国送料無料で得られるこの考え方はお得ではないかなぁと思う次第であります。

 

どちらか一方が尽くし続ける恋愛は辛いのでやめた方がいいです。

愛するという動作をしても、返してこなければ向こうの意識が変わらない限りそのままなので、そういう時は別れた方がいいかもねという体験談を締めにさせていただきます。

 

ではでは!