こんにちは、ざっくりです。
今日は「目覚め」と「悟り」を描いた映画、マトリックスについて解説します。
(個人的には吹き替え版のほうが好きです。アンダーソンくぅ~ん(ねっとりボイス))
1999年(今から約21年前)に公開されたこの映画は”空前絶後の超絶大ヒット”をしました。
もしマトリックスを知らない人は、このシーンを見てみてください。コンピューターの中の世界を描いた、今から21年前の映画です。
Neo vs Agent Smith | The Matrix [Open Matte]
(CGを多用する現代とは違い、実写とCGのちょうどいい塩梅で、当時はワイヤーアクション全盛期でした。CGでごまかさない、俳優がガチで演技する姿は今見ても新鮮です。主演はキアヌ・リーブス)
簡単なあらすじの紹介、そしてこの映画の本当のテーマである「目覚め」「悟り」のプロセスについて説明します。
映画「マトリックス」とは
マトリックスのあらすじについて簡単に説明すると、
大手ソフトウェア会社で働くプログラマーのトーマスは、夜は天才ハッカー「ネオ」として、あらゆるコンピューター犯罪に手を染める日々を送っていた。
だが最近、目覚めているのにまるで夢を見ているような感覚になることが多く、「今生きているこの世界は、もしかたら夢の世界ではないのか?」という漠然とした不安と違和感を感じながら生活をしていた。
ある日、眠りから目が覚めるとパソコンの画面上に「起きろ、ネオ」「マトリックスが見ている」「白ウサギについていけ」と表示されていることに気づく。正体不明、差出人不明のメールを受け取ったのだ。
そんな中、とある仕事の客から夜のクラブに行こうと誘われたネオ。
一度は断ろうと思ったが、付き添いの女性の肩に白ウサギのタトゥーを発見したことから、思い切ってその誘いを受けることにした。
「真実」と「現実」に目覚める引き金となることを知らずに・・・
です。
「現実は夢ではないか?」「目覚めよ」というメッセージを、この映画はそのプロセスを丁寧に描き出しています。
以降はネタバレとなり、そのプロセスとは何かを順を追って説明していきます。
もしまだマトリックスを見たことがない人は、先に鑑賞してから続きを見ることをお勧めします。
目覚めとは何か?
「マトリックスはシステムだ」というセリフがあります。
The woman in the red dress | The Matrix [Open Matte]
(2分24秒まで、改めて言いますが、これは1999年の映画です)
今生きているこの世界、目に見えるすべて、五感で感じるもの、ありとあらゆるものが真実ではなく、真実と思い込まされているもので、”それが唯一の現実だと思わされている”としたら、あなたはどうしますか?
唯一の現実と思っているこの世界が、実はそうではなく、偽りのものだとしたら?
この映画は最初に強烈な問いを投げかけてきます。
過去、現在、未来と流れゆく川の流れに自分は翻弄されるしかなく、流される葉っぱのように小さきものだという世界からの強烈な離脱です。
「こうするしかない」「ああするしかない」という思考は、本当に正しいのでしょうか?
唯一の現実からの目覚め
メールに従った先で出会うトリニティとモーフィアスによって、ネオは「こうするしかない」「どうしようもない」「流されるしかない」世界から、目覚めることになります。
劇中では養分として生かされ続ける人類が描かれていました。
機械に飼われ、意識を失い、かりそめの世界を惰性で生きる人類です。
「自分の人生をコントロールできないなんて嫌だ」
この言葉が始まりです。
何か違和感がある、自分の人生を生きたい、主体的でいたい、流されるままではなく、自分の人生に責任をもって生きたい。
「悟り」や「目覚め」について興味を持つのは上記のような気持ちです。
人は「自分で自分の人生をコントロールできない」ことに恐怖を感じる生き物です。
歳をとればとるほど、自分の人生じゃないと感じるほどに、流され、従い、自分の人生に責任を持たない日々を続けてしまう人もいます。
漠然とした不安と違和感を感じながら。
モーフィアスのセリフにこんな一説があります。
マトリックスは”すべて”だ。至る所にある。
今この部屋の中にもだ。窓から外を見るときも、テレビをつける時も、それはそこにある。
仕事中にも、教会にいる時も、納税するときも、それは君の目を真実から覆いかぶせてきた世界だ。
「真実って?」
””君が奴隷である””ことだ。
みんな生まれた時から束縛されている。
私たちは匂いも味も感触もない牢獄に生まれた。牢獄だ、心を縛る。
人間は無意識で生きています。
主体性を忘れ、意識的に生きるのを忘れ、違和感を感じながら、人生こんなものさと流されながら生き、今の環境は人のせい、周りのせいだと感じながら生活しています。
それをモーフィアスは”心の奴隷”と表現しています。
心の牢獄に縛られ、自分の選択の責任を負わない人々への強力な問いかけです。
青い薬を飲むか、赤い薬を飲むか
私たちは毎瞬毎瞬、意識的に生きるか惰性で生きるかを決めれます。
真実に生きるか、夢の中で生きるか。
What is The Matrix? | The Matrix [Open Matte]
劇中では、人類は機械によって管理され、「機械のために栄養価を提供するだけの存在」として描かれています。
あいつが悪い、こいつが悪い、周りのせいだ・・・無意識に「自分の選択からの責任逃れ」ばかりに精を出し、死の間際になって無意識に自分を安売りし続けていたことに気づきます。
本当の人生はまだまだだと、幻想の中で生きていたことに死の間際になって気づくことがあります。
(カイジ 鉄骨渡り編)
心の牢獄の中にいるとは、「本当の自分を表現することなく生きる」ことを指します。
現実は”今”しかなく、今までもこれからも””今””の連続です。
「いつか」は永遠に「いつか」であり、やってくることはありません。
自分の人生を主体的に生きる時が、幻想から抜け出せるとき。
気づかなければ青い薬を飲み続けたまま自分の部屋のベッドで目覚め続ける、そういった分岐点を暗示しています。
目覚めるとは、無意識から脱し、今の環境はすべて自分が選んでいたことに気づくことから始まります。
自分主体か他人依存か?承認欲求について
ここまで読んできて、
「目覚める」とは惰性と無意識な生き方からの脱却。主体的な人生の創造を毎瞬毎瞬問いかけられている
ことがお分かりになりましたでしょうか?
次に紹介したいのが、預言者オラクルと面会するシーンです。
(残念ながら日本語字幕版が見つかりませんでした)
ネオはモーフィアスから、AIと人類の戦いを終わらせる救世主ネオだと言われ、素直にそれを信じられませんでした。
なので、モーフィアスと共に、【預言者】と言われるオラクルに面会しに行くことになりました。自分が救世主かどうか知るために。
ですが面会した結果、「あなたは救世主ではない」と言われてしまいます。
ここでのシーンは、ネオが主体的に生きることが断片的にわかり始めている頃です。
例えるなら自己啓発本や潜在意識の本などを読み、マトリックスから目覚めるために行動を起こしている時ですね。
ここは中盤当たりのシーンなのですが、この預言者との会話の意味は、以下のようなものです。
「僕は救世主なんですか?(主体的に生きれていますか?)」
『違うわね(人に承認を求めるようではまだまだ)』
という含みがあります(おおざっぱですが)
自分が自分を認めていないから、人から承認されることを求めている。それは主体的とは程遠く、人に依存している状態の現れです。
「嫌われる勇気」がベストセラーになりましたが、「承認欲求」を覚えておられますでしょうか?
人から認められたらそうなんだと同意し、そうじゃなければ自分をその人の意見になびかせてしまう。
承認欲求に振り回されているうちは主体的とは程遠く、外部に振り回され翻弄される人生であると明かしているのです。
だから預言者オラクルは「それは主体的(救世主)とは言い難いわね」と返したのです。
たびたび登場するエージェントは、無意識=エゴそのもの
映画マトリックスにおいて、主人公はコンピューターウイルスなので、どこに行っても何をしていても、各種エージェントが追跡してきます。
これが仏教用語で言われる自我、エゴと呼ばれるものです。
(エージェント=エゴ)
自分の人生を主体的に、選択して生きようとするときに、何十年も培ってきた惰性と習慣は、手を変え品を変え、いつもと同じように自身を引き留めようとします。
「それはだめだ、危ないぞ、間違っているぞ、私がルールだ、こうするべきだ」などなど…
エゴは人生の主導権を握りたいのです。
「よーし!俺は変わるぞ!」と思っても、『何も変わっていない』『ほらまた失敗したぞ』『やっぱりだめだよ』『そんなんじゃ無理』と常にささやき続けてきます。
根負けして気持ちが萎えてしまうのは、エゴの声に同意してしまった(エージェントに負けた)からです。
それほどまでに巧妙に、自分が変化しないよう足止めをしてくる存在です。
目覚める前、悟る前までは、いつも自分が変化しないよう惰性で生きようと働きかけてきます。
エージェントスミスが、主人公のことを”ネオ”ではなく、アンダーソン君と何度も呼びかけるのはそのため。
主体的に生きられてはエゴは主導権を失ってしまうので、君は過去こんなことをした人間だ、新しい自分になるなと念押ししてくるのです
自分を信じ始め、自ら主体的に選択して生きようとする場合、過去の延長線上の自分との戦いが始まります。
完全に目覚めるまで、いつ何時も戦いは起きます。
神出鬼没のエージェントのように、何か出来事が起きるたびに「ほらやっぱりダメだろ?」「常にこう対応しなければ」と過去の記憶に結びつけて、変わろうとする自分に違和感を感じさせ、昔と同じ反応を繰り返すよう躾けられてしまいます。
「やっぱり自分は…」と落ち込んでしまえばエゴの思うつぼ。「ほら、こんな努力をすべき」「あんな努力をすべきだ」とエゴが張り切り、ありのままの自分には何の価値もないぞと急き立てます。慣れ親しんだ長年の習慣、マトリックスに飼いならされるのです。
次は最終章。目覚めの意識と悟りについてです。
この世で目覚める、悟るとは
今までの説明で、映画マトリックスは主体的な人生の創造について丁寧に丁寧に述べていることがわかりましたでしょうか?
無意識で過去の延長で惰性で生きている違和感に気づき、主体的な人生を生きようとすると様々な障害が内面で起きます。
神出鬼没なエージェントに躾けられてしまい、無意識で同じ反応を毎回選択してしまい、何も変わらない眠ったままの人生を送るかどうかを問いかけられています。
では目覚めるとは何か?エゴを超越するとは何か
「過去がこうだから、ずっとそういう人間でいなければ」
「こういう境遇だから、ずっとそれを継続しなきゃ」
「過去にこんなことがあったから、幸せになるべき資格がない」
こういったエゴの声を一切受け付けなくなります。
エゴはことあるごとに騒ぎます。
「こんなことがあったぞ!やっぱり私は嫌われてる」
「失敗したな!あの人に失望されているに違いないぞ」
「嫌なことがあったぞ!やぅぱり私はツイてない人間なんだ」
そういった反応が脳裏に浮かびますが、「やっぱりそうなんだ…」とか「そんなことない!」と、エゴの声と戦いません。エゴは永遠に消えない存在で、戦っても敵わないのです。
であれば、どうするか?
「そんな風に感じているんだな」「〇〇だと思っているんだな」と、”自分”と思考にワンクッションを置いて、エゴを超越(観察)する者になります。
「自分には何か欠けている、ありのままの自分には価値がない。」
「認められるためにもっと頑張らなければならない」
「自分はダメ人間だから、もっと頑張らねばならない」
全部エゴが主導権を握るための嘘です。
ありのままの自分でいい、外部の状況に関係なく、今の自分を完璧と思えた時「悟り」「目覚め」と評される救世主に変わる時です。
自分が決めていたあらゆる束縛ルールから解き放たれ、行動自体が結果となり、今をどんどん充実させる生き方に変わる。
過去がどうとか関係なく、”今”の自分にできることをただ始める生き方に変わるのです。
エゴは自分ではない、思考も自分ではないと余計なものを取り外していった先に、最初からあった空白に気づくこと。
これがマトリックスがオブラートに包んでいた核心的なテーマです。
まとめ
いかがだったでしょうか?
過去がこうだったから未来はこう。
今の自分は劣っているから〇〇しなければ価値がない。
そういったエゴが大嘘だと気づくとき、救世主(The ONE)になれると示唆する大作映画でした。
こういう哲学的なテーマとしてマトリックスを観察すると、驚異の映像体験のSFではなく、また違った面白さがあるとして楽しめますよ。
最後までお読みいただきありがとうございました!
あなたの人生に幸あれ!それではまた!