ざっくり書くブログ

自分が自分に書く、自分のための雑記

自分が自分に1番厳しい裁判官だと、人生は苦しい

はてなブログのトップページを見ていたら、こんなブログが目に止まった。

みぃさんの「日記」というブログだ。

https://mukiryoku7.hatenablog.com/entry/2020/08/31/205004

https://mukiryoku7.hatenablog.com/entry/2020/12/31/161030

ここまで内情を真摯に書けるのは正直すごいと思う。

もう上記2つを読んでくれたと仮定して、話を進めていくとするけど、みぃさん、苦しいだろうねぇ。

自分が1番自分に厳しくて、我慢の積み重ねの日々で、「やらなきゃいけない」って義務感ばかりで、もうどうしていいか分からないんだろうなと感じた。多分日記として公開しているのも、そういう側面があるんじゃないかな?

あ、あくまで想像ですよ?あくまで僕自身の想像としてだけど、書いていきます。

みぃさんは多分、自分に1番厳しい批評家の自分を飼っているね。そんで優しい。多分親から見て「いい子」をずっと続けてきたんじゃないかな?配慮が得意みたいな。

それで、社会の規範とか、あるべき姿とか、親の欲求に答えようとして、自分を殺し続けているから、マクドナルドの面接でもあんな感じになっちゃったんだろうなと思うよ。

コメント欄を見ると「それじゃ社会人としてやって行けないぞ!」「甘え」「〇ね」「酷いやつだ」等々恐ろしいコメントばかりある。

【正義】の方々からしたら許せないじゃろうねぇ〜( ̄▽ ̄;)

でもな、そういうのを実は本人が1番よくわかってるのじゃ。これはいけないことだと分かっとるんよな。でもやってしまってるんじゃ。そこに病巣があるんだけどな。

実は自分も長年そうだった。

我慢と「べき」で生きていた。「こうあるべき」「そうあるべき」「でなければならない」という社会のルールと、それに添えてるかどうかを常に自分で見張っていた。

自分で自分を見張っていた。そりゃ疲れるで〜( ̄▽ ̄)

今月末で実は仕事を辞めた。2年半続けていたけど、辞めることになった。最終日が終わって、家でゴロゴロしていたり、寝ていたり、遊んだりした。けど心は晴れない。

周りから見たら悠々自適に生きているように見えても、全然本人は楽しくないし満たされてない飢餓感があるのよね。

なんでかって言うと、「自分で自分を責めていた」のよね( ̄▽ ̄)笑

例えば寝ていても、「お前寝ててもいいのか?ダラダラしててもいいのか?仕事を探せよ」って責めてた。傍から見てたら寝てゆっくりしているように見えても、本人は全然休んだ気がしない( ̄▽ ̄)笑

出かけていても「遊んでいいのか?本当にそんなのでいいのか?人生終わるぞ?本当にいいのか?」と、ずっと責めてたんよね( ̄▽ ̄)笑

めちゃくちゃ端的に言うと、「自分で自分を常に責めてた」んだよね。

もうここ30年近く笑

やることなすこと、「意味があるのか?〇〇していなければならないんじゃないか?お前が〇〇だから迷惑かかったんだぞ?」みたいな規範意識?に責められていた、というか責めていた。ドMか( ̄▽ ̄)笑

でも多分これとおんなじことをしている人が多いんじゃないかな?

「ねばならない」「べき」って、親か社会か知らないけど、いつの頃からか【常識(夢や希望とも言う)】規範意識に縛られて、常に自分を責めてる人。

みぃさんも、多分その「どこからがやってきた規範」に囚われたんじゃないかな?

やりたいこと、楽しいことがあっても「親に養われてるから」「親が金を出しているから」って遠慮したり、反対の小言を言われてやりたいことを辞めてしまった。

〇〇歳にはああなっていなければならない

脱童貞していなければならない?←笑

立派な大学、いい点数を取らなければならない

立派にならないといけない

素晴らしい最高の人間になっていなければならない

と思い込んで、または周りから言われて、そうならなければいけないと思ってしまった。

親は単に希望を言う権利はある、意見を言ってもいい。けど庇護下だから、従わなければならないと思ってしまって我慢してしまったのかな?

「うるせー!俺はこれがしたいんじゃ!」ってその場その場で自分の意見を言って、親と喧嘩出来たらどんなに楽だったろうね。

多分逆らったことがないんじゃないかな?

言いたいことはお互い言っていい、言い合っていい。けど、庇護下だからと抑えてしまってやりたいことも今は消えてしまっているんじゃないかな?

寝たり、ぼーっとしたり、ゲームしたりが精一杯じゃないかな。

それでも「いいのかそんなことして?」「何やっているんだ?」「何時間を無駄にしているんだ?」って常に自分を責めちゃうだろうし、周りからも責められている気になっていただろうね。

本当はそんなことないよって。

したいことをしたいと言っていいんだよって。

大切な人が倒れていたら優しい言葉をかけるように、自分にもかけていいんだよって。

やりたいことをやってみてもいいんだよって。

どうせ大丈夫だから、失敗してみなって。

親は親の言いたいことを言ってるだけだから、自分も言いたいことを言って、したいことしていいんだよって。

そんな言葉を伝えてあげたいね。(コメント欄に何故か書けず( ̄▽ ̄)笑)

自分が1番自分に厳しくて、常に追い立てる様な感じになっている人も多いと思うんだ。

でも、大切な人が倒れていたり、落ち込んでいたら「大丈夫だよ」とか「やりたいことやりなよ」とか、「なんとかなるよ」って言葉をかけると思うんだ。

それと同じように、「寝たかったら寝たらいいやん」「辞めたいなら辞めたらいいやん」「そんな無理しなくてもいいじゃん」って声をかけてあげられたらいいね。

まず自分に対する1番厳しい裁判官を辞めてみよう。周りからなんと言われようと、自分がそうしたいからそうしているんじゃと堂々としていよう。そうすると、ありのままのそのままの自分でも受け入れてくれる人が意外といることに気づいて、自然と感謝が湧いてくるから。

たくさんの人が共感して、優しいコメントをくれた事や、両親も実は個人的な意見を言っていただけで、みぃさんがどんな姿で生きようと愛してくれることに気づけるといいね。自分に厳しい裁判官を辞めて、寄り添う自分を作れたらいいね。同じく長年自分責めで苦しんでいたものより