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本当の意味での「おかげさま」とは?間違ったおかげさまが多すぎる問題

「おかげさま」という言葉があります。

あの人のおかげ、この人のおかげなどなど、自分以外の人たちのおかげでとよく使われます。

でもこのおかげさま、言葉だけの空虚な意味で使っている人や、周りから敵視されないように「おかげさま」を使いましょう的な記事がちらほらあって、我ながら大丈夫かいな…と思ってしまいました。

「おかげさま」って、利用するものでも得するために使うものでもないのにね。

この世の中って結果は「他人」が決めることなんですよね。どんな商売も、どんな公演も、結果は他人が決めます。

要するに苦労や努力は、思った通りの結果に結びつきません。「こんなに苦労したんだから」「こんなに頑張ったんだから」みたいな判断は、全くと言っていいほど結果と繋がりはありません。

オーディションでも仕事の成果でも採用面接でも、結果は他人が選ぶし、他人が決めるのです。

「俺が決めた、俺が結果を勝ち取った、俺の成果だ」みたいな自慢話は、これを一切把握してない人です。結果を思い通りにしたい×他力が奇跡的に組み合っただけで、その人の成果でもノウハウのおかげでもなんでもないわけです。

他人が決めてくれたことに、「俺の思いどおりにしたい」欲求がたまたま重なって、有頂天になっているだけなのです。

大前提としてこの世の殆どは他人が決めます。

他人が同意してくれたり、他人が選んでくれるから、売り上げやら結果やらがついてくるのです。

そこで最初の話。「おかげさま」とは何か?

自分が自由にわがままにやりたい放題した結果、自分の行動や努力はあろうとも、結果的に他人が選んでくれたと分かってると、勝手に湧いてくるのが「おかげさま」なのです。

結果を思い通りにしたい、こんだけ頑張ったから○○になるはずだ…これは妄想です。何の関係も成果もない妄想です。この妄想を元に【なぜ上手くいかないんだ】などと言ってるのです。はっきりいって滑稽なギャグなんですが笑

その事が分かってると、全ての結果は他人が決めていることがわかります。頑張ろうが努力しようが苦労しようが、最終的に相手が結果を左右するわけです。

やりたいことをやり、言うだけタダと言い、働きかけた行動面だけに集中して結果を思い通りにしようとしない人は、他人が選んでくれたり遊ばせてくれたり、許してくれたりすることが実感としてすごく分かると思います。ここで勝手に湧くのが本来のおかげさま。

結果を思い通りに操作したい人が考えているのは、口先だけの「おかげさま」です。

だって内心は「自分のおかげ」「自分が苦労した成果」「俺の努力の結晶」と思っているから、そんなこと思うわけがありません。

最近「なぜお前は一生懸命俺の言う通りにならねーんだ!」と深夜0時にドヤりつくして吉本に三行半を突きつけられた元芸人もいましたが、分かりやすく「俺が俺が!」になっていたわけですね。

本来俺がどんなに頑張ろうと、苦労しようと、相手からしたらカンケーネーわけです。やってくれるように言うことは出来ますが、それをするかしないかは相手の自由なわけで、そこを強要する時点でアチャーですが笑

そんな幻想にかかっている人らが「おかげさま」のことを、【敵を作らないため・周りの評価を高めるため・いい人と思われるために使っているに違いない】と思うわけです。めちゃくちゃ浅ましいですよね。

試しにやりたい事をやって、言いたいことを言って、面倒なことは人に頼み、わがままに、自分が楽になることをどんどんやってみたら、すごく実感できると思います。

あ、おかげさまだなぁって。そんでできることからお返ししようと思っちゃうわけです。

便利なツールとして言うものじゃないんですよね。自然と感じるものなんです。

結果も何もかも、他力からの恩恵だなと気づくと、勝手に有難くおかげさまと感じれます。

間違った使い方をしている記事が多かったので、書いてみました。